はーみんの永い言い訳

【2018年5月25日〜】

炭素たちの学校

 カンナムスタイルって,知ってるかな。そう,あの曲で有名な,カンナム駅の4番出口を出て,そこからまっすぐ8分くらい歩くの。すると,大きな複合商業施設が出て来る。目印は,1階に入った,でっかいマックね。その建物の15階に,わたしの小さなオフィスがある。正式な商号は「炭素学校」っていうの。事業者登録をしに出かけた税務署で,商号を決めてくれないと登録ができない,と職員さんに急かされたとき,とっさに出てきた名前だった。帰り道,カンナム駅の人混みをかき分けながら歩いている間ずっと,どうしてその名前が出てきたのか,ひたすら考えたけどこれといった理由は浮かばなかった。ダイヤや鉛筆の芯などを構成するその物質に,何か心惹かれるものがあったのかな。炭素たちの,学校。

 

 

 とにかくわたしは,炭素学校という名前の,留学エージェンシーを経営している。主な仕事内容は,日本に留学したい韓国の子どもたちに,日本語を教えることをはじめに,学校選びや出発前の準備といった留学全般に関するアドバイスのほか,現地での生活サポート,進路相談など,留学におけるさまざまなサービスを提供している。ちょっと真面目に書き過ぎちゃったな。周りからは,この仕事を始めるようになったきっかけとか,経緯をよく聞かれるけど,毎回わたしは答えに迷っちゃう。なので,決まって(本当に毎回)「成り行きで」と言いながら照れ笑いをしてみせるんだ。えー,とびっくりされるのも予想内の反応。すると,またそのたびにわたしは,おちゃらけた感じで,笑って,ごまかす。

 

 それでも,もし誰かに「今の仕事は好きですか?」と聞かれたら,わたしは迷わず,「好きです」と答えられる自信がある。最初から好きだったわけではない。誤解を恐れず言うと,本当はこの仕事,大嫌いだった。

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 「君はどういう大人になりたい?」

 相談者(だいたい親子でやってくるのだが)との初回面談時に,子どもの緊張が少しほぐれてきたところで,わたしが必ず聞く質問だ。もちろん,この質問をするとき,親御さんは部屋の外に追い出してる。いろんな答えが,帰ってくる。初対面のわたしに向かって,「俺は金持ちになって,さらに俺より金持ちな美人と結婚したい」と,ドヤ顔を見せていたのは,高2のB。こういう子,わたしは嫌いじゃないので,面談中にも関わらずニヤニヤしてしまう。Bに限らずみんな,親の期待とは関係なく,それなりに考えてることがしっかりあるということに,わたしは毎回感心させられる。

 

 

 この文章は日本語で書いているわけだから,韓国の受験事情について少し説明しておく。韓国の受験競争がどんなに激しいものなのかは,世界中が知っていると思う。年に一度行われる,修学能力試験(センター試験みたいなもん)の日には,遅刻しそうになった子どもたちをパトカーがタクシーのように乗せて,道路を突っ走る。その異様な試験会場へのお見送り姿は,日本のメディアにも滑稽な見物として報じられたりするから,韓国人の一人としては,気まずい笑みを浮かべるしかない。

 

 どうしてここまでみんないい大学に進学しようとするのか考えてみたんだけど,おそらく歴史的背景も影響している気がする。韓国は,科挙制を通じて採用された官吏らが政権を握っていたという歴史を持ってる。長い間,武家政権による支配が行われていた日本と比較してみると,とっても興味深い話だと思うな。要するに,韓国人は昔から,「偉い人」は,試験を受けてそれに合格した人たちだったわけ!それに,今の韓国社会もかなりの学歴社会であって,何かにつけて,出身校が問われるものだ。

 

 だから,親の立場からすると,子どもに最良の教育を受けさせるためなら(たとえそれが肩書きにすぎないとしても),いくらでも払えると思うのも,当然なことかもしれない。ここでの最良の教育とは,大学教育を指すのではなく,予備校や家庭教師のことを指すというところが,笑える(のか笑えないのかわからない)ポイントなんだけども。そしてもちろん,この記事を書いているわたしも,韓国の受験戦争(日本留学試験という形だったけど)を経験した一人だ。

 

 

 「先生,お金はいくらでも払うから,この子を早稲田に入れて」

 信じられないかもしれないけど,こういうお願いはべつに珍しくもなんともない。大学名は毎回異なるものの,志望校に入れるためならどんな対価でも支払う用意があると,わたしのオフィスにやってくる相談者たちは揃って言う。「とりあえず,子どもと話してみないと」とため息混じりに言うと,「よろしくお願いします」と頭を下げられるので,なんとも言えない気持ちになってしまう。それは,少し,罪悪感にも似ている気持ち。

 

 金持ちになって,さらに自分より金持ちの美人と結婚したいという,俗世の強者Bのお母さんも,全く同じことを言ってきた。韓国のギャルメイクを綺麗に施した,若い美人ママだった。彼女は「先生,こいつポンコツなんです」とBを指差しながらなんのためらいもなく言える,またもや強者で。Bは開業医の長男。本来なら医学部に入れて病院を継がせたいけど,ポンコツだから無理なのは家族全員すでに承知で,早稲田だったらメンツは保てる(いや,早稲田ポンコツ入れないでしょ)という,初対面にしてはなかなかヘビーな話を持ち出されたのだった。

 

 「できる限り,頑張らせていただきます」と引き受けた(「できる限り」という言葉でしっかり逃げ場は作っておきながら)Bだったが,こいつがまた,生意気なやつで。宿題はまともにやってこないし,忘れただの寝坊しただのですっぽかされるのも日常茶飯事。ある日はタバコくさい,またある日は酒臭い,ナメた態度にもほどがある(お前高2だろうがよ!)。その腹いせに,Bを教えてからちょうど1ヶ月経ったころ,医学部に対する未練を捨てられずにいるお母さんに電話をし,正直に伝えたのだった。「Bくん,医学部は無理ですね」するとお母さん「やっぱりね」と,かなりあっさりめな反応だった。

 

 そんな破天荒なBがある日,しょんぼりした姿で教室に入ってきた。普段なら,どんな可愛い子の連絡先をゲットしたか,学校の先生をどういう風に論破してやったのか,楽しげにしゃべるはずなのに,授業中ずっとおとなしい。帰り際,恐る恐る言ってきたのが,「先生俺,退学になったんだ」と。「え?」わたし多分,3秒くらいポカーンとしちゃってた。Bが退学になりそうな理由がありすぎたので,どれが原因なのか,考える時間が必要だった。教室でタバコを吸ってみた件?後輩たちに酒を飲ませてみた件?どれだ!?

 

 「え,どれ?ちがうな,なんで?」

 「…担任の先生と口喧嘩をしたんだけど,俺が勝ったんだよ,担任に」

 

 ありゃー,そっちか!そりゃ,問題だな…。学校の先生たちには悪いけど,彼ら,教師の権限とか,教師の権利とか,とにかく教権という言葉が大好きな人種なんだから…。クラスの大勢いる中で,口喧嘩で学生に論破されるなんて,耐えられるわけがない。にしてもさ…。

 

 「で,退学の正式な名目は?」

 「教権侵害だって」

 

 ですよねー。Bは不良でも理屈っぽいところがあって,それに口の立つやつだから,先生らの理不尽に言い返してやりたかったのに違いない。だから,思いっきり先生に勝ってやったんだ。

 

 「先生に勝ってどうする。負かせにくるに,決まってるじゃない」

 「けど,ここまでやられるとは,思わなかった」

 

 大人って,そんなもんよ。この先,どうするか早く考えなさいよ,と言い捨てたものの,落ち込んでいるBの姿をみていると腹が立つ。学校がどんなものだったか,卒業から10年も立つと,忘れるもんだった。尖ったものは削ぎ落とし,凹んだものは,さらに踏み潰して序列を作る。Bは,削ぎ落とされちゃったんだ。でもBにとっては,よかったかもしれない。大人の残酷さって,大人になってから知るほうが,辛かったりするから。

 

 

 この仕事,なかなか好きになれなかったのは,罪悪感のせいだった。わたし自身この受験戦争に散々苦しんだ経験がある。それが,勝ち抜いた者として長年評価されてきたおかげでその辛さを忘れ,完全に自惚れていたのだ。わたしはいつの間に,子どもたちをその競争から解放してやるどころか,金儲けの手段に利用する大人になっていた。だけど,わたしはこの受験制度に代わる代替案なんて,持ち合わせていないのだ。何かを否定するためには,その何かに代わるビジョンを提示できないと…。そう思っているからこそ,ひどく混乱する。

 

 だから,この仕事を好きにならないことで,償おうしていた。そして,せめてどうすればこの競争に勝てるか,勝つ術をしっかり教えてあげたいと思っていた。その過程で彼らが元来の夢を失うことがないように,ゴールを達成しても燃え尽きたりしないように,サポートしていきたいとも。

 

 子どもに居場所がないのも事実だ。学生の権利より教師の権利の方が優先されるのが現実。そういった中で,突破口を探すとしたら,韓国社会の中では,塾や予備校に頼るしかない。現にBは,「頼れる大人なんて,いない」なんてことを口癖のように言っているし,心細いたびにカカオトークで連絡をよこしてくる。学校が変わらない限り,こういう私教育(学校以外の教育機関を指す韓国語)は必要悪で,社会が変わらない限り,受験制度だってそのままのはずだ。

 

 代替案を提示できないなら,その中で妥協することも必要だと考えているわたしは卑怯者なのだろうか。理想の具現化が難しければ,次善策だって検討する価値が十分あると思っていることは,ただの開き直りなのだろうか。アナーキーなことは,とりあえずこの世で戦う術をしっかり学んで,勝てるようになってから考えても遅くないと思っているわたしは,臆病者なのだろうか。私は決して,この質問から自由になれない気がする。

  

 

 Cも,変わった子だった。問い合わせの連絡は,普通親御さんからかかってくるけど,アポを取るのも全部自分でやってた。事務所にやってきたCのファーストインプレッションを一言でいうと,うん,暗い!声も小さいから何度も聞き返したりしてて。もっと声はらんかい!と喝を入れると,「小心者で,すみません」と,ボソッと言う。それでも目標はしっかりしている。一ツ橋の法学部に入りたいと。そんなCが,熱を出して授業に出れない日があった。

 

 その日,Cのお母さんから電話がかかってきて,受験までの道のりが全く見えないし,色んな科目に対する色んな情報がありすぎて混乱しているとの内容だった。わたしはひとまず,Cはまだ高1だから時間があるし,それまでの計画を練るのはわたしの仕事だから任せてくれと伝え,何とか安心してもらえるように。Cに聞いてみると,情報もありすぎるし,何をどうすればいいか,不安でパンクしちゃったとのことだった。

 

  そうだよね,選択肢がありすぎると,逆に混乱するよね。人間はいつだって,自由から逃走したくなるもんだから。わたしが仕事で気をつけている点があるとしたら,それはまず,相談にやってくる人たちの選択肢を最小限に減らしてあげること。選択肢を限らせたその責任は,わたしがしっかり取ると,伝えること。そして,本当に,その責任を取ること。

 

 

 そんなCにもわたしは聞いたことがある。

 

 「Cくんは,どんな大人になりたい?」

 「外交官になるか,…三菱商社に入りたい」

 「ピンポイントできたな!なんで?」

 「友だちがいいって言ってたから…」

  「ふーん,友だちが言ってたから,か」

 

 Cはとにかく丸暗記がうまい子。わたしが言ったことなら,一文字も間違えず覚えていてびっくりすることが多々あった。たまに,わたしが間違ったことを教えたのに,そのまま暗記しちゃってたりして,あちゃーってなったり。そんなCだからこそ,わたしは心配になった。

 

 「Cくんって,心の軸,持ってる?」

 「え,心の軸って」

  「自分の中で,何を正しいとするか,判断する軸。尺度みたいな」

 「…俺,すぐ流されちゃう」

 「色んな人の言うこと,そのまま吸収できちゃうからなんじゃないかな。それって,Cくんの才能でもあるから,悪いことじゃないよ。それに加えて,自分のものにする情報を選ぶ力もつけば,いいんだろうなー」

 「それってどうするの?」

 「そうね,どうしたらいいんだろう。先生の場合は,本をたくさん読む。色んな人の書いた本をたくさん。自分の考えってのは,たくさんの人の考えを読んでからじゃないと育たないからね。あと,今の先生の話も,そのまま信じないで,疑ってみるの。本当かな?って」

 「…」

 「難しいね。あとは,そうだ。自分のこと,好きになるのもいいね。自分のことが大好きな人は,他人にも,優しくできるよ」

 「…それって,自分軸と関係あるの」

 「あるある!ほら,たくさんの人の話を読んで,聞くためには,偏見がないほうがいいよね。偏見がないってことは,まず他人に敬意を払えてるってことだと思うんだ。自分のことを愛せない人は,自分にも敬意を払えないし,自分に敬意を払うことができない人は,他人にも,払えないんじゃないかな」

 

 俯いて,わたしの話を聞いていたCくんは,無言のままただただ頷いていた。なんども,なんども。

 

 10代って,難しい年頃だと思う。みぞおちあたりから,何かが芽生えてきて,ムズムズするし,モヤモヤもするし,とにかく,繊細。自分が何者かもわからず,どこに向かえばいいかもわからない。

 

 Cくんを見送って,わたしは結構長い時間考え込んでしまった。あんなに偉そうに言っちゃったけど,人生というのは,大人にだってとっても難解なタスクなんだから。答えがありそうで,ないようで,それでも,何かあるような気がして。

 

 「どんな大人になりたい?」

 という質問に,わたしはもう答えられない。もう大人になってしまったんだから。なので,「どんな大人として生きていきたい?」という質問を,自分自身に投げかけてみるのだ。そして,「あなたの理想通り生きれてる?」という質問も,おまけに。多分,3日,いや一週間ぐらい悩まないと,答えられないんだろうな。

 

 

 自分の10代を思い出すと,わたしには,どういう大人になりたいかを聞いてくれる大人があまりいなかった。みんなに達成すべく目標ばかりを突き出されて,達成したその先を提示してくれる大人がいなかったのだ。だから,大学に入ってから,燃え尽きたりして,何も考えられなくなって,そんな自分に挫折していた時期もあった。そんなわたしが,一番聞いて欲しかった質問は,志望校でも,入学祝いに何が欲しいかでもなく,どんな人生を送りたいか,だったのかもしれない。だからわたしは,わたしのもとにやってきた子どもたちに,これからも,いちばん最初に質問していくつもり。

 

 

「君は,どういう大人に,なりたい?」ってね。