はーみんの永い言い訳

【2018年5月25日〜】

スカートの下の劇場(下)

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  女はヤレばヤルほど安っぽくなるけど,男は抱いた女の数がそのまま自信につながる。社会はいつだって女性と男性とに異なる性道徳を課してきた。そして,こういった社会規範に違反する女性に対しては「尻軽」とか「ふしだら」などと侮蔑する言葉を投げる。一刻でも早く消したい記憶が裁判官という,国家権力によって再び流されたその日,ク・ハラはすでに死んだのかもしれない。これは,家父長制という長く乱暴な物語が,女性に対する一切の共感能力を備えていないことの証だ。なぜなら,家父長制は女を「モノ」として扱うから。一人の女性の体は,もう一人の男性の子を生むためだけに存在する。よって,複数の男を抱けるような性的パワーを持っている女は,徹底的に人間の群れから排除しなければならない。

 

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 男が悪くて,女が被害者だとか,そんな単純な話じゃない...。今韓国では,男vs女の性対決フレームにソルリやク・ハラの死を持って行こうとしている動きがある。論点がズレまくり,亡くなった人への敬意はかけらもなく,もうめちゃくちゃ。議論されるべく問題が浮き上がってくると,人はすぐさまヘイトスピーチに逃げる。まったく卑怯な行為だ。反韓と反日に長年苦しんできたわたしに言わせてもらうと,社会悪以外の何物でもない。

 

 家父長制は家父長的な女(同調と傍観)と家父長的な男(搾取)が共同制作で作り上げてきた物語な気がするのだ。言い方は悪いが,うまく飼い慣らされた女は,家父長制の番人(と書いて手下と読む)としてもってこいだ。男女老若問わず,勢揃いでソルリが攻撃されたのは,こういったことが背景にあったからなんだと思う。

 

だから何が言いたいかって,わたしは別にソルリやク・ハラを自殺に追いやった原因について追求しているわけではない。死んだ人は何も言えないから,そんなの生き延びた人たちがいくら考えてたって意味がないと思う。だけど,彼女たちが受けた不当な扱いについては,議論する価値が十分にある。なぜなら,この家父長制が,人を,女を,殺すからだ。

 

 ここでもう一度,スカートの下の話に戻ってみる。

 家父長制という名の物語が最も恐れている事態は,いうまでもなく,女が自分の体を所有することで,女性が自分の性的自己決定権を思うがまま行使することは,家父長的な男性にとって,最も大きな脅威となる。この物語の中で女は,自分の本当の美しさに,決して気づいてはいけない。それを決めるのは,有史以来ずっと男性であり続けた。気づいてはいけないものに気づいてしまった者は,死ぬまで続くイルカトレーニング(オペラント学習,社会が人間を飼い慣らす方法は恐ろしいほどイルカトレーニングのそれと似ている)に懲らしめられなければならない。

 

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 わたしには,ソルリの描いていたその絵が,彼女の健気な決心のように思えていた。想像してみるのだ。ひとりの美しい女性がある日,自分の放つとてもエネルギッシュな魅力に気づき,その価値を自分で決めようとした。そしてその心を,そっと紙の上に移してみた…。

 

 こういう類の話って,想像すれば想像するほど,書けば書くほど,訴えれば訴えるほど虚しくなる。世の中は,女のスカートの下の劇場にはいつだって興味津々になるけど,女のスカートの下の激情には,なかなか冷たいものなのだ。わたしはグローバルな平和を望む。そして,戦争のない世の中を望む。そのためにも,ジェンダーの平等を訴え続けるつもりだ。ジェンダーの平等は国際平和を促進する。戦争はたいてい,家父長制の価値観や男らしさが売り物の政治家が煽るもの(Harari,2018)だから。

炭素たちの学校

 カンナムスタイルって,知ってるかな。そう,あの曲で有名な,カンナム駅の4番出口を出て,そこからまっすぐ8分くらい歩くの。すると,大きな複合商業施設が出て来る。目印は,1階に入った,でっかいマックね。その建物の15階に,わたしの小さなオフィスがある。正式な商号は「炭素学校」っていうの。事業者登録をしに出かけた税務署で,商号を決めてくれないと登録ができない,と職員さんに急かされたとき,とっさに出てきた名前だった。帰り道,カンナム駅の人混みをかき分けながら歩いている間ずっと,どうしてその名前が出てきたのか,ひたすら考えたけどこれといった理由は浮かばなかった。ダイヤや鉛筆の芯などを構成するその物質に,何か心惹かれるものがあったのかな。炭素たちの,学校。

 

 

 とにかくわたしは,炭素学校という名前の,留学エージェンシーを経営している。主な仕事内容は,日本に留学したい韓国の子どもたちに,日本語を教えることをはじめに,学校選びや出発前の準備といった留学全般に関するアドバイスのほか,現地での生活サポート,進路相談など,留学におけるさまざまなサービスを提供している。ちょっと真面目に書き過ぎちゃったな。周りからは,この仕事を始めるようになったきっかけとか,経緯をよく聞かれるけど,毎回わたしは答えに迷っちゃう。なので,決まって(本当に毎回)「成り行きで」と言いながら照れ笑いをしてみせるんだ。えー,とびっくりされるのも予想内の反応。すると,またそのたびにわたしは,おちゃらけた感じで,笑って,ごまかす。

 

 それでも,もし誰かに「今の仕事は好きですか?」と聞かれたら,わたしは迷わず,「好きです」と答えられる自信がある。最初から好きだったわけではない。誤解を恐れず言うと,本当はこの仕事,大嫌いだった。

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 「君はどういう大人になりたい?」

 相談者(だいたい親子でやってくるのだが)との初回面談時に,子どもの緊張が少しほぐれてきたところで,わたしが必ず聞く質問だ。もちろん,この質問をするとき,親御さんは部屋の外に追い出してる。いろんな答えが,帰ってくる。初対面のわたしに向かって,「俺は金持ちになって,さらに俺より金持ちな美人と結婚したい」と,ドヤ顔を見せていたのは,高2のB。こういう子,わたしは嫌いじゃないので,面談中にも関わらずニヤニヤしてしまう。Bに限らずみんな,親の期待とは関係なく,それなりに考えてることがしっかりあるということに,わたしは毎回感心させられる。

 

 

 この文章は日本語で書いているわけだから,韓国の受験事情について少し説明しておく。韓国の受験競争がどんなに激しいものなのかは,世界中が知っていると思う。年に一度行われる,修学能力試験(センター試験みたいなもん)の日には,遅刻しそうになった子どもたちをパトカーがタクシーのように乗せて,道路を突っ走る。その異様な試験会場へのお見送り姿は,日本のメディアにも滑稽な見物として報じられたりするから,韓国人の一人としては,気まずい笑みを浮かべるしかない。

 

 どうしてここまでみんないい大学に進学しようとするのか考えてみたんだけど,おそらく歴史的背景も影響している気がする。韓国は,科挙制を通じて採用された官吏らが政権を握っていたという歴史を持ってる。長い間,武家政権による支配が行われていた日本と比較してみると,とっても興味深い話だと思うな。要するに,韓国人は昔から,「偉い人」は,試験を受けてそれに合格した人たちだったわけ!それに,今の韓国社会もかなりの学歴社会であって,何かにつけて,出身校が問われるものだ。

 

 だから,親の立場からすると,子どもに最良の教育を受けさせるためなら(たとえそれが肩書きにすぎないとしても),いくらでも払えると思うのも,当然なことかもしれない。ここでの最良の教育とは,大学教育を指すのではなく,予備校や家庭教師のことを指すというところが,笑える(のか笑えないのかわからない)ポイントなんだけども。そしてもちろん,この記事を書いているわたしも,韓国の受験戦争(日本留学試験という形だったけど)を経験した一人だ。

 

 

 「先生,お金はいくらでも払うから,この子を早稲田に入れて」

 信じられないかもしれないけど,こういうお願いはべつに珍しくもなんともない。大学名は毎回異なるものの,志望校に入れるためならどんな対価でも支払う用意があると,わたしのオフィスにやってくる相談者たちは揃って言う。「とりあえず,子どもと話してみないと」とため息混じりに言うと,「よろしくお願いします」と頭を下げられるので,なんとも言えない気持ちになってしまう。それは,少し,罪悪感にも似ている気持ち。

 

 金持ちになって,さらに自分より金持ちの美人と結婚したいという,俗世の強者Bのお母さんも,全く同じことを言ってきた。韓国のギャルメイクを綺麗に施した,若い美人ママだった。彼女は「先生,こいつポンコツなんです」とBを指差しながらなんのためらいもなく言える,またもや強者で。Bは開業医の長男。本来なら医学部に入れて病院を継がせたいけど,ポンコツだから無理なのは家族全員すでに承知で,早稲田だったらメンツは保てる(いや,早稲田ポンコツ入れないでしょ)という,初対面にしてはなかなかヘビーな話を持ち出されたのだった。

 

 「できる限り,頑張らせていただきます」と引き受けた(「できる限り」という言葉でしっかり逃げ場は作っておきながら)Bだったが,こいつがまた,生意気なやつで。宿題はまともにやってこないし,忘れただの寝坊しただのですっぽかされるのも日常茶飯事。ある日はタバコくさい,またある日は酒臭い,ナメた態度にもほどがある(お前高2だろうがよ!)。その腹いせに,Bを教えてからちょうど1ヶ月経ったころ,医学部に対する未練を捨てられずにいるお母さんに電話をし,正直に伝えたのだった。「Bくん,医学部は無理ですね」するとお母さん「やっぱりね」と,かなりあっさりめな反応だった。

 

 そんな破天荒なBがある日,しょんぼりした姿で教室に入ってきた。普段なら,どんな可愛い子の連絡先をゲットしたか,学校の先生をどういう風に論破してやったのか,楽しげにしゃべるはずなのに,授業中ずっとおとなしい。帰り際,恐る恐る言ってきたのが,「先生俺,退学になったんだ」と。「え?」わたし多分,3秒くらいポカーンとしちゃってた。Bが退学になりそうな理由がありすぎたので,どれが原因なのか,考える時間が必要だった。教室でタバコを吸ってみた件?後輩たちに酒を飲ませてみた件?どれだ!?

 

 「え,どれ?ちがうな,なんで?」

 「…担任の先生と口喧嘩をしたんだけど,俺が勝ったんだよ,担任に」

 

 ありゃー,そっちか!そりゃ,問題だな…。学校の先生たちには悪いけど,彼ら,教師の権限とか,教師の権利とか,とにかく教権という言葉が大好きな人種なんだから…。クラスの大勢いる中で,口喧嘩で学生に論破されるなんて,耐えられるわけがない。にしてもさ…。

 

 「で,退学の正式な名目は?」

 「教権侵害だって」

 

 ですよねー。Bは不良でも理屈っぽいところがあって,それに口の立つやつだから,先生らの理不尽に言い返してやりたかったのに違いない。だから,思いっきり先生に勝ってやったんだ。

 

 「先生に勝ってどうする。負かせにくるに,決まってるじゃない」

 「けど,ここまでやられるとは,思わなかった」

 

 大人って,そんなもんよ。この先,どうするか早く考えなさいよ,と言い捨てたものの,落ち込んでいるBの姿をみていると腹が立つ。学校がどんなものだったか,卒業から10年も立つと,忘れるもんだった。尖ったものは削ぎ落とし,凹んだものは,さらに踏み潰して序列を作る。Bは,削ぎ落とされちゃったんだ。でもBにとっては,よかったかもしれない。大人の残酷さって,大人になってから知るほうが,辛かったりするから。

 

 

 この仕事,なかなか好きになれなかったのは,罪悪感のせいだった。わたし自身この受験戦争に散々苦しんだ経験がある。それが,勝ち抜いた者として長年評価されてきたおかげでその辛さを忘れ,完全に自惚れていたのだ。わたしはいつの間に,子どもたちをその競争から解放してやるどころか,金儲けの手段に利用する大人になっていた。だけど,わたしはこの受験制度に代わる代替案なんて,持ち合わせていないのだ。何かを否定するためには,その何かに代わるビジョンを提示できないと…。そう思っているからこそ,ひどく混乱する。

 

 だから,この仕事を好きにならないことで,償おうしていた。そして,せめてどうすればこの競争に勝てるか,勝つ術をしっかり教えてあげたいと思っていた。その過程で彼らが元来の夢を失うことがないように,ゴールを達成しても燃え尽きたりしないように,サポートしていきたいとも。

 

 子どもに居場所がないのも事実だ。学生の権利より教師の権利の方が優先されるのが現実。そういった中で,突破口を探すとしたら,韓国社会の中では,塾や予備校に頼るしかない。現にBは,「頼れる大人なんて,いない」なんてことを口癖のように言っているし,心細いたびにカカオトークで連絡をよこしてくる。学校が変わらない限り,こういう私教育(学校以外の教育機関を指す韓国語)は必要悪で,社会が変わらない限り,受験制度だってそのままのはずだ。

 

 代替案を提示できないなら,その中で妥協することも必要だと考えているわたしは卑怯者なのだろうか。理想の具現化が難しければ,次善策だって検討する価値が十分あると思っていることは,ただの開き直りなのだろうか。アナーキーなことは,とりあえずこの世で戦う術をしっかり学んで,勝てるようになってから考えても遅くないと思っているわたしは,臆病者なのだろうか。私は決して,この質問から自由になれない気がする。

  

 

 Cも,変わった子だった。問い合わせの連絡は,普通親御さんからかかってくるけど,アポを取るのも全部自分でやってた。事務所にやってきたCのファーストインプレッションを一言でいうと,うん,暗い!声も小さいから何度も聞き返したりしてて。もっと声はらんかい!と喝を入れると,「小心者で,すみません」と,ボソッと言う。それでも目標はしっかりしている。一ツ橋の法学部に入りたいと。そんなCが,熱を出して授業に出れない日があった。

 

 その日,Cのお母さんから電話がかかってきて,受験までの道のりが全く見えないし,色んな科目に対する色んな情報がありすぎて混乱しているとの内容だった。わたしはひとまず,Cはまだ高1だから時間があるし,それまでの計画を練るのはわたしの仕事だから任せてくれと伝え,何とか安心してもらえるように。Cに聞いてみると,情報もありすぎるし,何をどうすればいいか,不安でパンクしちゃったとのことだった。

 

  そうだよね,選択肢がありすぎると,逆に混乱するよね。人間はいつだって,自由から逃走したくなるもんだから。わたしが仕事で気をつけている点があるとしたら,それはまず,相談にやってくる人たちの選択肢を最小限に減らしてあげること。選択肢を限らせたその責任は,わたしがしっかり取ると,伝えること。そして,本当に,その責任を取ること。

 

 

 そんなCにもわたしは聞いたことがある。

 

 「Cくんは,どんな大人になりたい?」

 「外交官になるか,…三菱商社に入りたい」

 「ピンポイントできたな!なんで?」

 「友だちがいいって言ってたから…」

  「ふーん,友だちが言ってたから,か」

 

 Cはとにかく丸暗記がうまい子。わたしが言ったことなら,一文字も間違えず覚えていてびっくりすることが多々あった。たまに,わたしが間違ったことを教えたのに,そのまま暗記しちゃってたりして,あちゃーってなったり。そんなCだからこそ,わたしは心配になった。

 

 「Cくんって,心の軸,持ってる?」

 「え,心の軸って」

  「自分の中で,何を正しいとするか,判断する軸。尺度みたいな」

 「…俺,すぐ流されちゃう」

 「色んな人の言うこと,そのまま吸収できちゃうからなんじゃないかな。それって,Cくんの才能でもあるから,悪いことじゃないよ。それに加えて,自分のものにする情報を選ぶ力もつけば,いいんだろうなー」

 「それってどうするの?」

 「そうね,どうしたらいいんだろう。先生の場合は,本をたくさん読む。色んな人の書いた本をたくさん。自分の考えってのは,たくさんの人の考えを読んでからじゃないと育たないからね。あと,今の先生の話も,そのまま信じないで,疑ってみるの。本当かな?って」

 「…」

 「難しいね。あとは,そうだ。自分のこと,好きになるのもいいね。自分のことが大好きな人は,他人にも,優しくできるよ」

 「…それって,自分軸と関係あるの」

 「あるある!ほら,たくさんの人の話を読んで,聞くためには,偏見がないほうがいいよね。偏見がないってことは,まず他人に敬意を払えてるってことだと思うんだ。自分のことを愛せない人は,自分にも敬意を払えないし,自分に敬意を払うことができない人は,他人にも,払えないんじゃないかな」

 

 俯いて,わたしの話を聞いていたCくんは,無言のままただただ頷いていた。なんども,なんども。

 

 10代って,難しい年頃だと思う。みぞおちあたりから,何かが芽生えてきて,ムズムズするし,モヤモヤもするし,とにかく,繊細。自分が何者かもわからず,どこに向かえばいいかもわからない。

 

 Cくんを見送って,わたしは結構長い時間考え込んでしまった。あんなに偉そうに言っちゃったけど,人生というのは,大人にだってとっても難解なタスクなんだから。答えがありそうで,ないようで,それでも,何かあるような気がして。

 

 「どんな大人になりたい?」

 という質問に,わたしはもう答えられない。もう大人になってしまったんだから。なので,「どんな大人として生きていきたい?」という質問を,自分自身に投げかけてみるのだ。そして,「あなたの理想通り生きれてる?」という質問も,おまけに。多分,3日,いや一週間ぐらい悩まないと,答えられないんだろうな。

 

 

 自分の10代を思い出すと,わたしには,どういう大人になりたいかを聞いてくれる大人があまりいなかった。みんなに達成すべく目標ばかりを突き出されて,達成したその先を提示してくれる大人がいなかったのだ。だから,大学に入ってから,燃え尽きたりして,何も考えられなくなって,そんな自分に挫折していた時期もあった。そんなわたしが,一番聞いて欲しかった質問は,志望校でも,入学祝いに何が欲しいかでもなく,どんな人生を送りたいか,だったのかもしれない。だからわたしは,わたしのもとにやってきた子どもたちに,これからも,いちばん最初に質問していくつもり。

 

 

「君は,どういう大人に,なりたい?」ってね。

スカートの下の劇場(上)

スカートの下,覗きにきたんでしょう?

せっかく覗きにきてくれたので,今回の記事では,パンティの話をしてみる。

 

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 韓国アイドルのソルリが,自殺した。

 多分,韓国の芸能界に少しでも興味がある人なら,みんな知っていると思う。びっくりするほど綺麗な人で,韓国のシンガーソングライターのIUは,彼女の美しさを曲にしたりもした。この世の言葉じゃ,あなたの美しさを言い表せないよ,という内容の歌詞で。

 

 そんなソルリが生前,自分の描いた絵をあげていくインスタのアカウントがあった。そのアカウント名がまたキュートで,おもわず笑っちゃったな。

 

 Be my panties

 

 わたしのパンティにならない?でもなく,なりたいかい?でもない,「わたしのパンティになりなさい」だなんて!彼女,なんとそのアカウントにおそらく自分のものであろうパンティの絵をあげていた。

 

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 その絵の構図がまた,鑑賞者の桃色の妄想を掻き立てるもので。スカートをちらっとめくった先,姿を現す薄いピンクのかかった,真っ白な太もも。そして,陰部をそっと覆い隠す色よりどりのパンティたち。彼女,その絵を描いているとき「あー,わたしって,こんなに美しい」なんてこと,考えていたのかな。わたしはとっても可愛いし,ちょっぴりメルヘンな彼女の趣味もまた,素敵だと思っていた。

 

 ソルリのアカウントは,たちまち有名になった。非公開にもしていなかったから,あえて知らせる努力をしていなかっただけで,多分知られても平気だったんだろう。しばらくすると,パンティの絵の下のコメント欄は,猥褻だの,ふしだらだの,言いたい放題の罵りでだんだん溢れかえっていった。

 

 そんな「猥褻」で「ふしだら」な彼女が,ある日,自ら命を絶ってしまった。彼女が亡くなったという話を聞いた夜,わたしは熱を出した。火照った頬を枕に深く埋め,どうしてこんなに心が痛むのか,考えて,考えて,また考えた。誰も頼みやしないってのに,わたしはどうにかしてこの悲しみを,衝撃を,怒りを,言葉にせねばならないという思いに駆られた。

 

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 ソルリへのバッシングは,彼女のパンティの絵から始まったわけではない。ノーブラで,乳首の透けて見える私服姿を堂々とあげていた彼女,ある番組では「ブラジャーはわたしにとってアクセサリー。ノーブラ姿は可愛いと思う」と発言していた。元アイドルの身で,彼氏とのラブラブなツーショットや,性行為を連想させる写真なんかも,頻繁にあげていた。彼女が自由になればなるほど,悪プル(韓国の造語。悪性リプライを略した言葉)はどんどん加熱していく。炎上したら,その掲示物が事務所の権限を使ってでも消されるのが普通なのに,誰に何を言われようと,ソルリのインスタは,いつも,そこに,そのまま,あった。

 

 ソルリの死から間も無く,彼女と親友だった韓国アイドルのク・ハラも自殺した。彼女は恋人だった男に暴力を振るわれたことを明かして裁判を起こしていた。その過程で男は,こっそり撮った彼女とのセックスビデオで彼女を脅した。判事は,彼女がそのビデオを故意で撮ったものかを確認するため,裁判でビデオを公開したという。判決文には,性行為の回数や,行われた場所などまで,公開的に述べられたらしい。

 

 おかしい。何かがおかしい。

 

 「女性はこうあるべき」だという規範から自由になった女にはバッシングが集中し,愛した人とのセックスが,その恋が終わった瞬間,凶器と化する。この二人の女性の死は何を意味するんだろう。どうして,こんなにもわたしは悲しくなるんだろう。

 

 

(続く)

 

 

【参考文献】

  • 上野千鶴子(1989)『スカートの下の劇場』河出書房新社.

Never Ending Story

 最後の記事から2年ものブランクが空いちゃった。その間,私って何をしていたのだろう。やっぱり,2年ぶりに,そして2020年一発目の記事といったら,Iの話をしなくちゃ。

 

 

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 人の愛し方を,あなたは知っているのだろうか。

 私は,ちょっとだけ,わかるな。それは,多分わかったんじゃなくて,教えてもらったという言い方のほうが,あっている気がする。

 

 「ハーミンって韓国人なの!?」

 いかにもバカっぽい喋り方だと思った。北千住駅の喫煙所でIを紹介してくれた先輩Sとタバコを吸っていたときに,とんでもなくでかい声で彼は聞いてきた。うるさいなー,声がでかいよIちゃん。Iと会うのは,その日で2回目だというのに,なぜか馴れ馴れしい口調で,私はIのことを呼んでいた。

 

 「あいつバカなんだよー」

 Sさんは,Iのことを,いつもバカバカ言っていて,もちろん愛があって言っていたのだろうけど,たまに言い過ぎなんじゃないかと,気を使うことがあった。とにかくSさんから何回も聞かされたIの逸話が一つあって。

 「いやー,俺がさー,ストロングゼロ3缶飲んだっつったら,『ストロングゼロ3缶飲んだら1缶9パーセントあるから,27パーセントやん!!お前酒強くなったな!!』って言うんだよ。ほんと,バカだよなー」

 

 それでもIは,私からすると,とってもセクシーな男だった。VネックのTシャツに薄手の黒いテーラードジャケット,そして細身シルエットのスラックスという,いかにもホストっぽい格好がよく似合っていた。彼とは新宿でよく待ち合わせをしていて,会うたびに彼は,「早稲田の人って新宿で待ち合わせすんの好きだよなー!」と言っていた。すると毎回私は,答えに迷った末に,「そうかもね」と合わせていた。切れ長で,一重まぶたの目は,異様に光っていて,その目を覗くとたまにぞっとすることもあったけど,そのまっすぐな目がすごく好きだった。この人はきっと嘘が下手なんだろうな,そう思いながら彼を眺める。

 

 お洋服以外にも,色恋って言葉がよく似合う男だった。

 女の子との駆け引きの仕方だったり,女の子の喜ばせ方を,Iは本当によく知っていた。Iには当時,私以外にも付き合っている女性がいて,そのことはとっくに私にバレていた。どうしてわかったかというと,彼の家に長い髪の毛が,本当にそこら中に散らばっていたから!(嘘が下手なのにもほどがある!)その時の私は,もう不幸な恋愛には興味がなかったので,いい加減Iに別れを告げようと,タイミングを見計らっていた。

 そして,この日なら話せると,心に決めた日がやってきた。バイトあがりの私を彼が迎えにきたので,一緒にイタリアンのレストランに出かけることにした。私はゴロゴロにゃん助という,アホらしい顔をした猫のキャラクターが大好きで,そのことを彼には伝えていた。

 「ハーミン,そこの,それ,ちょっと登録してみて」

 居酒屋とかによくある,卓上の立て札(?)を指差してIが言った。

 「え?これ?」

 「そう,それそれ。ライン登録したら,ワンドリンクただだって。それ登録してよ」

 ドリンクなんて頼んでないじゃない,私はキョトンとしながらも,彼のいう通りに登録をしようと,手のひらサイズの立て札を持ち上げる。すると,裏に何かが挟まっている。

 

 「あれー!ゴロゴロにゃん助さんからプレゼント届いてるー!」

 高くて,明るくて,独特の,本当に悪いけど,ちょっとバカっぽい声。立て札に挟まっていたのは,私の大好きなキャラクターの絵が入っているハガキだった。いつの間にテーブルの上にはゴロゴロにゃん助の絵柄の入った手提げ,そして何枚かのシールが置かれている。きっと私がお手洗いに行っている間,セットしたんだ。よく見ると,村里つむぎ(ゴロゴロにゃん助の作家さん)さんの直筆じゃない?

 

 「なにこれ」

 私って,喜ぶのが下手だから,ありがとうより先に出てきたのが,この得体のしれない絵葉書が,どこからやってきたのかを聞く,尋問のような言葉だった。Iは絶対答えてくれないし,にゃん助さんからのプレゼントだとしか言わない。あとでツイッターから調べたら,岡山でサイン会をやっていたらしい。そういえば,この前,突然Iと連絡が繋がらなくなって,しょんぼりしていた日があったな。これをもらうために,岡山まで行ってたんだ。もちろん嬉しかったけど,なんとも言えない,すごく複雑な気持ちになったので,その時ふと出てきた言葉が,「本当バカだね,あんた」だった。別れようとか,もう会うのは終わりにしましょうとか,言えるはずもなく,家に帰った私は,その馬鹿げたハガキを,ドレッサーについた鏡の縁に,一番好きな色のマスキングテープで貼っておくだけだった。私が彼に教わった愛の仕方がどんなものだったか,ダラダラと長く説明することもなく,「盲目」のふた文字に尽きる。

 

 

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 そんな彼は,ITビジネスで莫大なお金を稼いだらしかったけど,それが法のグレーゾーンで儲けていたようで,こんな仕事早くやめてしまいたいと言っていたらしい。ちょうど私と出会った頃,経営していた会社の売却が決まって,これからは個人投資家に転身し,世界一周の旅に出ると言っていた。

 

 Iには悪いけど,正直,意味がわからないと思った。英語を喋れるようになりたいとも言っていたけど,英語が喋りたいなら,韓国の英会話スクールに通ったほうが一番手っ取り早いのでは?とか思ったりして。言わなかったけどね(書いてるけど)。とにかく,私の目にはなんの目的もない,ただの金持ちの自己実現(だから何を実現させるの?)のように写ってしまった。だけど,当時の私はIが大好きだったし,離れたくないと思ったので,うまいこと連れて行ってもらうことになった。大学院は休学状態だったけど,研究室の人たちがとにかく嫌いだったのでほぼやめたようなもんだったし,かといって何かやりたいこともみつからず,ひどく混乱していた時期だった。親にはずっとお前は何を考えているんだと怒られる一方で,逃げるところが必要だった。

 

 まあ,要するに,都合が良かった。都合よく旅に出られるようになったので,この旅に何か名分を与えよう,私はそう思った。だから「自分探し」という,またいかにも都合の良い言葉で自分の行為を正当化し,満足して,ハワイに旅立った!しかし,そこで私はとんでもない事実に気がついた。私って,男に媚びるの,下手くそ!何から何までお金を出してもらっているくせに,文句は言うし,旅がつまらないと泣いて喚いたりもした。節約もせず,化粧品なんかもバンバン買って,しまいには病気になり,医療費の高さで悪名の高いアメリカの地で何度も病院にお世話になるという奇行を成し遂げた!

 

 

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 それでも彼は優しかった。ラスベガスでは,散歩に出かけようなんて言って,私には内緒で予約したショーをサプライズで見せてくれた。ロサンゼルスでは,博物館でもらった小さなぬいぐるみを無くして落ち込んでいると,全く同じぬいぐるみをどこかでみつけては,知らぬ間にリュックにつけておいたりもしてくれた。なのに,私はその生活にこれっぽっちも満足できなかった。結局,私はIに完全に呆れられて,韓国に帰らされた。私は,このままじゃ気が済まないから,ヴィトンのバッグをねだったりもしたけど,なぜか正気を取り戻して,「やっぱりバッグいいや。別れよう」と,彼に別れを告げた。

 

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 どう?王子様とお姫様が,結ばれて,幸せに暮らしましたとさ,とか,そんな話を期待した?多分,ハッピーエンドだったら,こんな記事は書いていない。世界で一番美しい恋をしているつもりだったのに,私の中にあったのは,美しくもなんともない,ドロドロで,なまぐさくて,醜くて,それであり生そのものの,「欲望」だけだった。羊膜嚢に包まれたまま誕生した胎児のように,自分が生まれたことにも気がつかず,与えられっぱなしの養分を求め,自力で息をすることが,怖くてたまらない。そもそも,男で自己実現しようとした女に,ハッピーエンドなんてあるのかしら。

 

 

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 その後の私は,お金のない暮らしが嫌だったので,塾講になり,なぜかよくわからないけどカリスマ講師として売れるようになった。私はずっと日本で接客のバイトをしていたし,臨床心理学の研究室で学んだカウンセリング術をうまく利用することもできて,自分が人を相手にする商売に長けていることに気がついた。最近は,「留学コンサルタント」という体裁のいい事業まで起こし,いまや仕事もだいぶ軌道に乗ってきたところ。

 

 お金ってその気になって稼ごうと思えば結構簡単に稼げるもんだった。Iがよく話していたことは,この世には金の流れる金脈ってものがあって,その金脈をちょいと動かし,自分のところに流れるようにすればいいんだということだった。仕事をしているときは,なんとなく,Iだったらこんなことを言うんだろうな,こんな接客をするんだろうな,こんな風に事業を広げて行くんだろうなと,もう私のそばにはいないIをずっと真似していった。一時も彼のことを考えていないときはなかった。彼に会ったら,「あの時のどうしようもないクズが,こんなに成長したんだよ」と,そう伝えられる日が来ることを願って,がむしゃらに仕事をこなしていた。

 

 けど,後から先輩のSさんから聞いた話によると,彼は私と別れてすぐ,可愛い彼女を見つけ,髪の毛を緑に染めて,彼女のことをハニーって呼んでいるらしかった。あ!私のことも,ハニーって呼んでた!Sさんにそういうと,「キモい」の一言で返された。

 

 そんなこんなで,猫二匹とのタワマン暮らしにも飽きてきた頃,ヨーロッパに留学をしていた友人Tが日本に帰るという連絡をもらう。彼女に会いに日本へ行くついでに,大好きなアーティストKにも会えることになった。もうIに会いたいなんて思ったりはしないし,私は何か,燃え尽きたような感じになっていた。私のこの2年間が,A4用紙4枚にまとめられることに対しても,正直なんとも言えない虚しさを覚える。

 

 空っぽ。

 私は空っぽになった。恋愛って,男って,そんで女って,こんなもんか。がっかりを3周ぐらいして,晴れやかな気分にもなりそうなのに,なんだか生きる動力を失い,書く力しか残っていない。どこかマシーンのように日々の仕事をこなしているけど,もう自分がどこに向かえばいいか,正直わからない。夢に描いていたおとぎ話のようなことは,少なくとも私の世界には,存在しなかったから。

 

 ここんところ,ものすごく生きやすくなったと思っていた。それは確か,Iに教えてもらった通り,社会に順応し,この世に流れている金脈を探しては,ちょいと自分のところに流すって作業をしてからのこと。私はバイリンガルだから,この才能を金に変換するために,通翻訳の専門家になろうと思った。あと,韓国では通翻訳大学院に通っていることはかなりの名誉で,父に強く勧められたということもあり,大学院の受験をし,倍率の高さで名高い学校に,わずか4ヶ月ぐらいの受験期間で受かることができた。お金をちゃんと稼ぐようになり,それっぽい肩書きもできて,父が望んでいた大学院に合格してから,親にはまた可愛がられるようになった。器用で,多才な人だと,我ながら思う。

 

 にもかかわらず,自分は弱いから,社会に順応したんだと,勝手に思っていた。アグレッシブに歯向かった先に,貧困で惨めな生活が待っていて,私は死んでも体は売りたくなかったので,女の子ができる一番手っ取り早くて賢い選択(金持ちと結婚して専業主婦になろう)をしようとした。結果うまくいかなかったわけだが,これって,結局のところ,不特定多数の男に身を売るか,一人の男に身を売るかの,どっちかの選択にすぎなかったと,いまでは思う。私が弱いからそうするしかなかったのか,強いからできたのか,もう正直わからない。

 

 熱海の真っ青な空の下で会えたアーティストのKには,私の強いもの・弱いもの論がよくわからないと,そんなもん一度も疑ったことがないのか,問い正された。だけど,あなたって結局のところ,男なのよ。身を売らねばならないという恐怖を感じたことのない生き物に,考えを疑えだのなんだの,軽々しく言われたくはない。

 

 私のおとぎ話は,蓋を開けてみたら,ハッピーエンドのクソもかけらもない,Never ending storyだった。そう言えば,Iとチェジュ島を旅行していた時,借りた車のラジオから流れていた曲のタイトルは,「Never ending story」だった。彼はその曲をものすごく気に入っていて,韓国語の歌詞を適当に真似て歌っていた。それを助手席に座って見つめている私は,結構幸せだったかもしれない。

 

 

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손 닿을 수 없는 저기 어딘가 오늘도 넌 숨 쉬고 있지만

手の届かない遠い彼方 今日も君は息をしているけど


너와 머물던 작은 의자 위엔 같은 모습의 바람이 지나네

君と腰掛けていた小さな椅子の上には同じ姿の風が吹いていく


너는 떠나며 마치 날 떠나 가듯이 멀리 손을 흔들며

君は去り際にまるで僕を離れていくように手を振り


언젠간 추억에 남겨져갈 꺼라고

いつかきっと思い出に残ると


그리워하면 언젠간 만나게되는

想い続ければいつかまた会える


어느 영화와 같은 일들이 이루어져 가기를

映画のようなことが起きますように


힘겨워한 날에 너를 지킬수 없었던

辛かった日に君を守れなかった


아름다운 시절 속에 머문 그대이기에

美しい思い出の中の君だから

そうだ,映画を作ろう

2015/12/18

 

最近は原因不明のアレルギーに悩まされ、アレルギー剤の服用中に飲み会でもあればいつも一人だけジンジャーエール。しかし今日の忘年会では調子に乗りビールを3杯も飲んでしまった。身体中が痒くなりトイレにいって鏡を見たら顔も体も蕁麻疹でまっかっか。もうお酒も飲めない体になってしまったか。人生における幸せを一つ失った気がしてなんだか悔しい。

 まあ、いいか。ここ数ヶ月、忙しなさに紛れ思惟を放棄しがむしゃらに突っ走ってきた結果一つだけ成果があったとすると、それはあらゆることに対するコントロールを手放せるようになったこと。とうとうお前も己の無力さに気づいたか。鏡に映った自分に向かってどっかのアニメに出てくる悪党風に問いかけてみる。なんだかバカバカしくなって少し早めに帰ることにした。静まり返った深夜の横丁を通る。マフラーに顔を埋めたまま無力な人間、無力な人間、とぶつぶつ呟いてみた。キャバクラのキャッチがちらちらこっちを見てくる。そんなわけない、こんなんで私の人生終わるはずない。

 「SNSなんて、マインドフルな人間がやることじゃないよ」
 今年の夏、ちょうどプレの卒論実験が始まる頃、私が同期に向かって言った言葉だった。その頃の私にとって「マインドフルネス」は最も熱いテーマだった。2,500年前に釈迦が提唱した瞑想とそれによる心のあり方。常に今この瞬間にフルで注意を向ける。全てが一過性のものであることを認め、過ぎ去って行く事象を裁かず、感じとり、受け止め、手放す。それによって得られるものは絶対的な心の安らぎ。静寂で、あたたかくて、欠乏感など存在しない、そんなふわふわした世界。私はまさにそんな綿菓子のような世界を夢見、マインドフルネスこそが私を、そして疲れ切ったこの社会を救える唯一の手段であると確信していた。
 
 これが瞑想によって得られる真の幸せのあり方だ。どうだ、すごいだろ。しかしお前らはどうなんだ。暇さえあれば携帯をひらいてFBやらツイッターやらを眺める。くだらないことをつぶやいて、機械的にいいね!を押す。実態もないものに向かって笑ったり怒ったり。おかしくない?みんなどうかしてるの!その時の私はとてつもない危機感にかられていた。世界がいかに「やばい」状況におかれているのかについて熱弁をふるっていたのだ。

 なのに、私はいつの間にかまたここに戻ってきた。社会との繋がりに奉仕する(social network service)とか、なんて大げさなネーミングセンスだ。マークザッカーバーグかハンバーグかしらないが、社会不適合者かつ重度のコミュニケーション障害持ちの私でも所在地地球の誰かさんと繋がりたくなっちゃうから大した男だな。そしてふと気がつく。そうか、私は今寂しいのか。そしてこの寂しさを自分の世界に投影させていたのか。私の眼に映る世界にはいつも「やばい」奴がたくさんいて、その「やばい」奴をなんとかしてやらなくてはいけないような使命に燃えていたのだ。

 この間一般の大学生を対象に実施したうつ病の尺度調査では平均得点38.6という驚異の結果が出た。38.6点ならアメリカの健常者群の平均得点をはるかに上回る結果だ。日本人大学生を相手に行ったことを勘案するとしても驚きの数字だ。「やばいね、みんな精神病だね」一緒に結果を眺めていた先輩がぽろっとこぼした一言だった。そうかもしれない。もしかするとこの世には精神病患者か精神病予備軍しかいなくて、すぐにでも病院に駆けつけ向精神薬をもらうなりカウンセリングを受けるなりすべきなのかもしれない。

 私のある知り合いは3ヶ月以上同じ場所にいると病んでくると言っていた。それもまた驚いた話で。どうして驚いたかって、「病んでくる」という発言の重みだ。彼は自分のヤミの領域との付き合い方を知っていた。反応の仕様がなかった。彼に必要なのは適切な診断か?だとするとどういう診断だ。幼児期のトラウマチックな出来事が原因かもしれない。いや、精神分析はもうあてにならんぞ。あれだ、あれ、認知行動療法だ。こりゃあ体験の回避に違いない。あれれ、やはり認知の歪みか?とりあえずラポールだ、ラポール!カウンセリングに入る前にクライエントとの信頼関係を築かなくっちゃ。

 急に笑いが止まらなくなる。
 いつから私はこんなつまんない見方しかできなくなったのだろう。

 釈迦のいうことが本当ならば、この世はすべて妄想でできている。いや、本当じゃなくてもいい。勝手に繰り広げられるヴァーチャルな世界の中で私たちは見たいものだけを見ながら生きていく。すぐさまラベリングし、綺麗に並べて分類してから、いかにかっこいい理屈を付け足せるか工夫する。そこには見本となるイデア的な存在が常に存在して、どこか少しでもかけていたら(というか異なる形をしていたら)それは、それは、大問題だ。修復するための案をまた練り、試行錯誤を経て想定していた結果が出たら頷いては口を揃えて言うのだ。「うん、これはうまくいった」。それがまた新たなルールになる。そして数々の制約に縛られることに心地よさを見出す。

 私も大して変わらなかった。いつの間にか私は相手が求めるものを察しては与えることしかしなくなっていた。今の日本は少子高齢化が進んでいて、まさにザ・ストレス社会!私はその中で少しでも人々が楽に暮らしていけるような環境作りに努め、社会に貢献したいのです!QOLの向上万歳!

 くだらねーな。もう飽きちゃった。これ以上このくそつまない生活続けるならいっそ死んだほうがマシかもしれない。旅に出たい。宇宙に生まれてきた以上その核心を突きたいという素朴な願望はとうとうわたくしの命まで脅かすのか。

 そうだ、観照者になろう!同時に創作者にもなり得る。これからはアーティストとして生きるんだ。監督も主演も全部私の面白い劇を作って見ようじゃないか。プロットなんてめちゃくちゃでも構わない。そもそも脚本が存在しないからいくらでもアドリブは効くし、構成もカメラワークも自由だ。認識は妄想であるという釈迦の教えとも矛盾しないから万事オッケーだな。我ながら詭弁に聞こえるが楽しければなんでもいいじゃない。いろんなクルーに出会えるだろう。舞台が地球なら60億人ものエキストラを採用するんだ。運が良ければ地球外生命体にも出演してもらえるかもしれない。そして彼らは現れては去って行く。私のアングルに映っては消えて行く。。。

 壁越しにルームメイトの電話の話し声が聞こえてくる。ここ数日、彼女は夜明けまで誰かと電話をしている。また新しく男でも作ったのだろう。急に睡魔が襲ってくる。アレルギー剤のせいなのかアルコールのせいなのかわからない。私の物語はどこまでがフィクションでどこまでがファクトなのだろうか。眠いから今日はここまで。

ボンドガールとターコイズブルー

2015/12/29

 

いつの間にか日が暮れていた。真っ黒な空のした、それとは対照的なイルミネーションの灯りが街中を染める。道沿いの街路樹に咲いた輝く花々はリズミカルに色を変えていた。赤かったり、白かったり、青かったり、まるで群舞のようだ。走って行く車のヘッドライトさえイルミネーションに一部に見えた。年末を迎えた都心の風景は大好きだ。何もかもが輝いていて、目がくらみそうになる。その浮ついた空気に身を任せ、目一杯冬を嗅いでみた。つめたくて、ほんの少し灰色がかかった半透明の匂いが身体中を埋め尽くす。

 平日だったせいか映画館は空いていた。落ち着いた館内をあとにし外に出てからもなかなか映画の興奮がおさまらない。半年前から楽しみにしていた007シリーズ24作目の『スペクター』だった。私は少し上気した顔を夜風に当てながら美しく光るけやき坂通りをくだった。ディナーの約束までまだ時間はある。

 相も変わらずダニエル・クレイグ演じる野獣みたいなジェームズ・ボンドと『スカイフォール』から加わったレイフ・ファインズのかっこよさは反則レベル。中年の色気とはこういうことか。メキシコシティの盛大なお祭り「死者の日」をそのまま再現したオープニング・シークエンスからアストンマーチンとジャガーが製作を手がけたスーパーカーまで、映画一本にどれだけの制作費を費やしたのか想像もつかない。その贅沢なボディーとセクシーな走りっぷりに誰もが魅了されただろう。ヨーロッパ各地を行き渡る舞台設定に、見事にスタントを使いこなして出来上がった華麗なアクションシーンはさすがだとしか言いようがない(ヘリコプターシーンはCGなしの全部本物!)。まあ、往年の007ファンと新しく確保すべく観客どちらも意識したせいかストーリーが乱雑かつ長すぎた感があることは否めないが、レア・セドゥが今作のボンド・ガールなだけで見る価値は十分だったのでは。ここは民主主義国家だから個人の趣味は尊重しよう。

 映画についてあれこれ考えているうちに友人Tが浮かんでくる。彼女とはよく映画に出かけていた。

 「クレイジーな人間は好きよ。でもコモンセンスは備わってないとね」
 ブラッディ・メアリーを片手にしてTは言っていた。名前からどこか不気味なそのカクテルはウォッカベースにトマトジュースを入れたものらしい。通りでそんな色をしているのね、私はグラスの中で揺れる真っ赤な液体を見つめながら彼女の説明に耳を傾ける。年下のくせに私の20倍くらいお酒の強いTは、好きで終わらせるのがもったいないとソムリエの資格取得まで目指していた。全く生意気なやつだ。ただの酒のみなら許せたのに。

 それにしてもクレイジーだがコモンセンスはある人間とはどういう人間なのだろう。どこか矛盾した話にも聞こえるが、私にはTこそそういう人間に思えた。笑うと三日月のように柔らかく曲がる彼女の目はいつも好奇心旺盛に光る。謙虚だが貪欲に学び、ときに見せる傲慢な態度に決して偏見は交えない。矛盾だらけだ。そんなTを色に例えると水色っぽいくすんだ青緑かな。どうしてそうかはわからない。ただ、もうすぐ彼女がトルコに旅立つという話を聞いた時には妙に納得できて思わず笑ってしまった。私がずっと浮かべていた清涼感あふれるその色は、おそらくターコイズ・ブルー(turquoise blue)だったのだろう。あなたはラテン系なはずなのに選んだのはトルコなのね、からかうように私はそう言った。

 そういえば、スペクターでボンド・ガールをつとめたレア・セドゥは「アデル、ブルーは熱い色」という作品でも知られている。この映画もみるきっかけはTのオススメだったことを思い出す。レア・セドゥ演じる魔性のレズビアン、エマは青い髪が印象的な女性だった。ターコイズ・ブルーよりは少し明度高めの爽やかな青。

 あるべきものがあるべきところにないとき、人は寂しさを覚える。私は特に「不在」というものに弱いのだ。最近Tにはとんでもなくイケメンなトルコ人の彼氏が出来た。ダビデ像を連想させる彼の顔写真が送られた日、「元気そうで何よりね」とは言ったものの、私以外の誰かに映画について楽しそうに語る彼女を浮かべ悔しい気持ちになったのだから私は相当Tの「不在」を患って(少し大げさにいうと)いるのだろう。トルコ人のイケメンな彼氏ができたくらいで「私はラッキーです!」と幸せそうにはしゃぐTは、きっとものすごく素朴な人間か、自身の魅力に十分気づいていないかのどっちかだ。

 ヒルズ本館に戻り、私は喫煙所を探し出した。2015年も残りわずか、何かでかいことできないかなと思いついたのが禁煙だったはずが結局やめられないままでいる。不在に弱いとはまさにこういうことなのかもしれない。ニコチンは神経伝達物質から離れやすいからすぐにまた求めてしまうメカニズムからしてもそうだ。だって、離れてしまうなんて寂しいじゃない。

誰もがwell-beingを訴えるこのご時世、200種類にも及ぶ有害物質を肺に入れるなんて時代遅れにも程がある。我ながらまったく時代錯誤な女だ、煙草に火をつけながら考える。けど20年代には煙草を吸い、お酒をがんがん飲む元気でセクシーな女性が魅力的だとされたのだから、その時代に生まれていれば私は今よりモテたのかもしれない。エーリッヒフロムは人間を魅力的にする条件は常に時代の流行に左右され、現代人は愛することより愛されることを巡り闘争すると言っていた。今やお金を払えば遺伝子も買えるし、人が商品化されることなんてこれっぽっちもおかしくない。愛と魅力を売る現代人のマーケットで私はどれくらいの価値があるのだろう。時代が求める女性像に自分をはめることが、私にはそう簡単ではない。

 歴代のボンド・ガールを見ればその時代が魅力的とみなす女性像がすぐわかる。クレイグボンドのデビュー作『カジノ・ロワイヤル』からは知的セクシーさを兼備したボンド・ガールが活躍してきた。豊満なボディーだけでは物足りない時代だ。歴代ボンド・ガールの傾向について研究してみても面白そうだなと思って調べたところ、すでにアメリカで調査済みで学術専門誌「セックス・ロールズSex Roles」にも掲載されたらしい。やっぱり時代遅れだった。まあ、興味のある方のためあとで親切にシネマトゥデイの記事をそのまま引いておこう。

 そろそろディナーの時間だ。向かう場所があることにほっとする。行き場もなく人混みにまじっていると、私はひどく気がめいってしまうのだ。もうすぐ会える人たちを浮かべては、出会ってきた人たちを思い出した。在と不在、その間を私は今日もさまよいつづける。

「過去20作で演じられた195人のボンド・ガールのキャラクターを調べたもの。195人のボンド・ガールのうち、ボンドと性的関係を結んだのは98人、そのうちベッドインしたのは46人、キスなどの軽い関係は52人だった。ボンドに抱かれた女性はグラマーというよりも若くてやせ型であることが多く、髪の色は27パーセントがブロンド、40パーセントが黒髪、茶色は19パーセントで赤毛は9パーセントだった。さらに、アメリカ英語を話すボンド・ガールは全体の4分の1だが、ヨーロッパのアクセントやイギリス英語の女性よりもベッドインの可能性が高いことも判明」(http://www.cinematoday.jp/page/N0018370、シネマトゥデイ)

宇宙人の振り立つ丘

 私は、間違いなく、生かされている。

 そんな思いがよぎったのはスカトー寺に滞在して4日目の朝だった。

 

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 2015年2月、私は研究室内で瞑想研究に興味を持っている仲間たちとタイに旅立った。

タイ東北部のチャイヤプーム県山中にあるスカトー寺を目指してだった。標高470キロの高原にある小さな村、そのずっと奥にお寺はあった。首都バンコクからはなんと500キロも離れていて、バスやトゥクトゥクに揺られ約6時間ほど移動しなければたどり着けない場所だ。当寺に副住職としていらっしゃる日本人僧侶プラユキ・ナラテボー師と研究室つながりでご縁があり、師の教えを請うため、我々の旅が始まった。

 


 早朝の3時に起床して、本堂で行われる読経と法話が終わると、寺の僧侶たちについて托鉢に出かける。村人からお布施をもらいに行くのだ。主にお米とおかずをお布施として納めるのだが、それらをもらって寺まで運ぶ役割は、我々修行者の仕事だった。

 


 「ここを私は宇宙人ゾーンと呼んでいます」

 

 優しく声をかけてきたのはプラユキ師だった。朝焼け前の暗闇の中、私達は僧侶たちに続き、なんの舗装もされていない木に囲まれた土の道を淡々と歩く。聞こえてくるのは、鶏の鳴き声と、托鉢組の足音だけ。その行列をじっと眺めていると、まるである静寂さを守る番人のようにも見える。

 

 「宇宙人ゾーン?」

 「そう。ここに来るたびに、宇宙人になって新しい星に降り立った感じがするのよ。毎日新しい景色が広がっているように見える、私の好きな場所です」

 

 師の言葉が終わった瞬間、丘を登りきったところにある景色が広がった。

 

 背の低い民家がずらっと並び、地平線までの視界を妨げるものは何一つ存在しない。タイミングよく朝焼けの時間に差し掛かり、広大な土地の上に乗る果てしない空が、少しずつ黄金色に染まっていた。朝の訪れにこの地の生命たちがかすかにどよめいていることがわかった。風がふくと揺れ動くたくさんの緑、気持ちよさそうに伸びをする野良犬の群れ。

 

 

 本当だ、プラユキ師の言う通りだった。ここにきて4日目。つまり、3度目の托鉢、3度目の景色なのに、こんなにも鮮明で、こんなにも美しい。息が止まってしまいそうだった。

 

 

  湯気がもくもくと出ている、おそらく出来立てであろう温かいお米とおかずを、肩にかけていたオレンジ色のお布施袋に納めると、僧侶たちの読経が始まる。村人と向かい合わせになって、深くしゃがみこみ手を合わせるその時間が私は好きだった。もちろんタイ語で読み上げられるお経の内容を理解できるわけがなく、ただ目をつぶり聞いているだけだが、その独特な抑揚が心地よく、不思議と深い慈悲の気持ちに包まれていくのだ。 

 


 当時は、大学4年に上がろうとしている時期で卒論計画を立てることに追われていた。そんな中、いくら研究のテーマが瞑想だといえ、2週間もの旅にでるなんてとんでもない、周りからはそんなことを言われていた。大学院に進学したかった私にとって卒論はけっこう重大なタスクで、その内容と出来具合が合否を決めるといっても過言ではない。しかしそのテーマがなかなか決まらず悩んでいた。

 


 が、今ここにある景色は日本のそれとは全く違う。プラユキ師のおっしゃる通り、まさに宇宙人になった気分だった。温かいお米とおかずを手に取りながら、早朝の托鉢に備えこれらを用意していた村人の姿を想像する。僧侶たちに向かって手を合わせる子どもたちが微笑ましい。少し湿った冷たい空気が美味しい。鶏がこんなにも高い鳴き声を出すなんて知らなかった。

 


 悩みに振り回され続けた心が、やっと本来の居場所を見つけたようにすっと静まっていった。もし卒論が書けなかったら?もし、院試に失敗して大学から追い出されることになったら?これといった職も見つけられず路頭に迷うことになったら?ぼんやりと考え続けていた苦しい妄想が、はっきりとその姿を表しては消えてゆく。

 

 

「大丈夫だよ」

 と、この地に生きるあらゆる命が私に語りかけているように思えた。この大いなる自然の中で、私が生きるすべをなくし、食いっぱぐれることが果たしてあるだのろうか?

 

もしあったとしても…。

どちらにせよ、そうさているのは、この豊かさから頑なに目を背けている私の心だ。

 


「私は、間違いなく、生かされている。この大地によって」

 毎日のように訪れても、また新しい景色が広がっているように見えるその宇宙人ゾーンで、私は一つの気づきを得たのだった。いや、実際いつも同じ景色がそこにあるなんて、その方が言語道断なのかもしれない。だって、この世界を構成する全ての細胞やら分子やらは、死んでは再生することを繰り返す。果てしない生と死の間を私たちは生きるんだから。

 

 だから宇宙人ゾーンは、宇宙人になったような感覚を覚えさせるのではなく、世の本質に気づかせてくれる場所だったのかもしれないと、今では思うのだ。プラユキ師はきっと、そのことを私たちに伝えたかったのかもしれない。

 


 不非時食(ふひじじき)の戒。正午以降は食事を取らない9つ目の戒律(仏教には9つの戒律と呼ばれるルールがある)だ。スカトー寺にきてからは、その戒律を皆が守っていた。空腹によって研ぎ澄まされた感覚が、命の美しさをこれでもかというほど味あわせてくれた。そして、その日托鉢から帰っていただいた朝食の味を、そのありがたみを、私は決して忘れられない。

 

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