はーみんの永い言い訳

【2018年5月25日〜】

宇宙人の振り立つ丘

 私は、間違いなく、生かされている。

 そんな思いがよぎったのはスカトー寺に滞在して4日目の朝だった。

 

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 2015年2月、私は研究室内で瞑想研究に興味を持っている仲間たちとタイに旅立った。

タイ東北部のチャイヤプーム県山中にあるスカトー寺を目指してだった。標高470キロの高原にある小さな村、そのずっと奥にお寺はあった。首都バンコクからはなんと500キロも離れていて、バスやトゥクトゥクに揺られ約6時間ほど移動しなければたどり着けない場所だ。当寺に副住職としていらっしゃる日本人僧侶プラユキ・ナラテボー師と研究室つながりでご縁があり、師の教えを請うため、我々の旅が始まった。

 


 早朝の3時に起床して、本堂で行われる読経と法話が終わると、寺の僧侶たちについて托鉢に出かける。村人からお布施をもらいに行くのだ。主にお米とおかずをお布施として納めるのだが、それらをもらって寺まで運ぶ役割は、我々修行者の仕事だった。

 


 「ここを私は宇宙人ゾーンと呼んでいます」

 

 優しく声をかけてきたのはプラユキ師だった。朝焼け前の暗闇の中、私達は僧侶たちに続き、なんの舗装もされていない木に囲まれた土の道を淡々と歩く。聞こえてくるのは、鶏の鳴き声と、托鉢組の足音だけ。その行列をじっと眺めていると、まるである静寂さを守る番人のようにも見える。

 

 「宇宙人ゾーン?」

 「そう。ここに来るたびに、宇宙人になって新しい星に降り立った感じがするのよ。毎日新しい景色が広がっているように見える、私の好きな場所です」

 

 師の言葉が終わった瞬間、丘を登りきったところにある景色が広がった。

 

 背の低い民家がずらっと並び、地平線までの視界を妨げるものは何一つ存在しない。タイミングよく朝焼けの時間に差し掛かり、広大な土地の上に乗る果てしない空が、少しずつ黄金色に染まっていた。朝の訪れにこの地の生命たちがかすかにどよめいていることがわかった。風がふくと揺れ動くたくさんの緑、気持ちよさそうに伸びをする野良犬の群れ。

 

 

 本当だ、プラユキ師の言う通りだった。ここにきて4日目。つまり、3度目の托鉢、3度目の景色なのに、こんなにも鮮明で、こんなにも美しい。息が止まってしまいそうだった。

 

 

  湯気がもくもくと出ている、おそらく出来立てであろう温かいお米とおかずを、肩にかけていたオレンジ色のお布施袋に納めると、僧侶たちの読経が始まる。村人と向かい合わせになって、深くしゃがみこみ手を合わせるその時間が私は好きだった。もちろんタイ語で読み上げられるお経の内容を理解できるわけがなく、ただ目をつぶり聞いているだけだが、その独特な抑揚が心地よく、不思議と深い慈悲の気持ちに包まれていくのだ。 

 


 当時は、大学4年に上がろうとしている時期で卒論計画を立てることに追われていた。そんな中、いくら研究のテーマが瞑想だといえ、2週間もの旅にでるなんてとんでもない、周りからはそんなことを言われていた。大学院に進学したかった私にとって卒論はけっこう重大なタスクで、その内容と出来具合が合否を決めるといっても過言ではない。しかしそのテーマがなかなか決まらず悩んでいた。

 


 が、今ここにある景色は日本のそれとは全く違う。プラユキ師のおっしゃる通り、まさに宇宙人になった気分だった。温かいお米とおかずを手に取りながら、早朝の托鉢に備えこれらを用意していた村人の姿を想像する。僧侶たちに向かって手を合わせる子どもたちが微笑ましい。少し湿った冷たい空気が美味しい。鶏がこんなにも高い鳴き声を出すなんて知らなかった。

 


 悩みに振り回され続けた心が、やっと本来の居場所を見つけたようにすっと静まっていった。もし卒論が書けなかったら?もし、院試に失敗して大学から追い出されることになったら?これといった職も見つけられず路頭に迷うことになったら?ぼんやりと考え続けていた苦しい妄想が、はっきりとその姿を表しては消えてゆく。

 

 

「大丈夫だよ」

 と、この地に生きるあらゆる命が私に語りかけているように思えた。この大いなる自然の中で、私が生きるすべをなくし、食いっぱぐれることが果たしてあるだのろうか?

 

もしあったとしても…。

どちらにせよ、そうさているのは、この豊かさから頑なに目を背けている私の心だ。

 


「私は、間違いなく、生かされている。この大地によって」

 毎日のように訪れても、また新しい景色が広がっているように見えるその宇宙人ゾーンで、私は一つの気づきを得たのだった。いや、実際いつも同じ景色がそこにあるなんて、その方が言語道断なのかもしれない。だって、この世界を構成する全ての細胞やら分子やらは、死んでは再生することを繰り返す。果てしない生と死の間を私たちは生きるんだから。

 

 だから宇宙人ゾーンは、宇宙人になったような感覚を覚えさせるのではなく、世の本質に気づかせてくれる場所だったのかもしれないと、今では思うのだ。プラユキ師はきっと、そのことを私たちに伝えたかったのかもしれない。

 


 不非時食(ふひじじき)の戒。正午以降は食事を取らない9つ目の戒律(仏教には9つの戒律と呼ばれるルールがある)だ。スカトー寺にきてからは、その戒律を皆が守っていた。空腹によって研ぎ澄まされた感覚が、命の美しさをこれでもかというほど味あわせてくれた。そして、その日托鉢から帰っていただいた朝食の味を、そのありがたみを、私は決して忘れられない。

 

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